【東北旅行3日目2】陸前高田1 復興工事トラックと陸前高田市立気仙中学校 [2016年夏 東北]
こちらの記事は2016年9月の旅行記になります。
現在の状況と異なることがあるかと思います。
車から外を眺めます。
プレハブ住宅が建っています。
通過しただけなのではっきりわかりませんが、
ここは被災された方の住宅ではなく
工事をしている方の宿泊施設なのでしょうか?
復興はなかなか進みませんが、ここで働いている方も多くいるのです。
途中は夏の終わりののどかな風景も見られます。
こちらのプレハブの薬屋さんはまだ新しいので
被災後に建てられたのでは、と思います。
車を走らせていくとトラックの前に「被災市街地復興整備事業」の
旗を付けたトラックが目立つようになってきました。
何往復もするトラックによって高台が作られています。
いずれここが住宅地になるのだと思います。
陸前高田市立気仙中学校の校舎が見えます。
当時の校長先生は
津波を経験したことのある地元の人の言葉にしたがい
指定されていた駐車場や屋上ではなく
高台に避難したために生徒・教職員とも全員無事に避難できたそうです。
その当時中学生ということは娘と同じ年。
そんな若い人たちが、当時どんな思いでいたかを思うと
胸が痛みます。
「僕らは生きる ここで このふるさとで」
車から外を眺めます。
プレハブ住宅が建っています。
通過しただけなのではっきりわかりませんが、
ここは被災された方の住宅ではなく
工事をしている方の宿泊施設なのでしょうか?
復興はなかなか進みませんが、ここで働いている方も多くいるのです。
途中は夏の終わりののどかな風景も見られます。
こちらのプレハブの薬屋さんはまだ新しいので
被災後に建てられたのでは、と思います。
車を走らせていくとトラックの前に「被災市街地復興整備事業」の
旗を付けたトラックが目立つようになってきました。
何往復もするトラックによって高台が作られています。
いずれここが住宅地になるのだと思います。
陸前高田市立気仙中学校の校舎が見えます。
当時の校長先生は
津波を経験したことのある地元の人の言葉にしたがい
指定されていた駐車場や屋上ではなく
高台に避難したために生徒・教職員とも全員無事に避難できたそうです。
その当時中学生ということは娘と同じ年。
そんな若い人たちが、当時どんな思いでいたかを思うと
胸が痛みます。
「僕らは生きる ここで このふるさとで」
こんばんは。2年前とはいえ、まだ震災の爪痕残っていますね☆
by オサムシ (2018-05-22 22:52)
記事中の写真の頃から2年近くたっていますが、あまり復興は進んでいないのではと推測します。
その根拠は、昨年行った熊本での様子から。
ヒト・モノ・カネが全てオリンピックのために東京に集まっているんですよね。
被災地は、東京のために後回しです。
by YAP (2018-05-23 08:21)
昔から津波の言い伝えは地元にはあったのでしょうね
それをちゃんと心に留めた大人がいたことで、子供たちは大切な命を守ることが出来たのですね
それでも目の前に迫る津波はどれほど恐ろしく、さらに身近に犠牲になった方もあったのでしょう
この地に住み続けるには高い防潮堤や高台への移転は致し方ないのかもと思いつつも
それだけが全てなのかと・・・、地元の方々の葛藤はなおさらなのではと想像します。
by ハイチュウ (2018-05-23 14:49)
コメントありがとうございます。
☆オサムシさん
2年前ですが震災からはすでに5年経っています。
でも、まだまだだと感じました。
☆YAPさん
行ったのは2年前ですが、YAPさんのおっしゃる通り
オリンピックのために東京に集まってしまい被災地は後回しになっていると思います。
オリンピックが近づいてきた分、さらにその傾向が強くなっていると感じます。
☆ハイチュウさん
先人の意見には耳を傾けないといけないですね。
校長先生の的確な判断が生徒たちを救ったのですね。
でも、この地には犠牲になった方もいらしたわけで
生徒たちはどんなに怖かったか不安だったかと思います。
by ジャランこ (2018-05-23 22:20)
少しずつ復興が進んでいますね
by とまと (2018-05-24 00:04)
☆とまとさん
復興の場所も見られますが、全体的にはまだまだという感じでした。
by ジャランこ (2018-05-24 21:21)